立憲民主、国民民主両党などが結成する合流新党の代表選に立候補した立民
の枝野幸男代表は9日、日本記者クラブ主催の討論会で、自民党総裁選に出馬し
た菅義偉官房長官が「自助・共助・公助」を訴えていることを批判した。「政治
家が自助と言ってはいけない。責任放棄だ」と述べた。枝野氏は「自助や共助ではどうにもならない時が人生にはある。政治の役割は公助だ。私たちとは明確に政治姿勢が違う」と語り、対決姿勢を鮮明にした。
枝野さんの「責任放棄」の意味が理解できません。
人によって異なるのでしょうが、ざっくりとした私の理解としては、
健康で働けるのであれば、まずは、自分の力で生きていく>自助
その中で、自分一人で困難なことがあったら手助けしてもらう>共助
個人ではどうしようもないことは国に助けてもらう>公助
こういう流れなんだと思います。
例えば、生活保護についていうと、枝野さんの考えだと
健康で働けるのに、それをしない人にも国は助ける>公助
これこそが、政治の責任だ。
こういうことですよね。
その考えが、今の生活保護の問題になっていると思います。
菅さんは、秋田から東京に出てきて、とにかく、自分で働いて頑張った>自助
親が政治家や金持ちで、自分は働かなくてもお金をもらえる>自助の言葉はない
今回、菅さんに期待できるのは、自助をしてきた政治家だからです。
自助・共助・公助に違和感を覚える人は、そのことを聞いただけで
例えば、今回のコロナで本当に困っている人のことがわからないんだなぁ、と
思ってしまいます。
つまりは、枝野さんは、政権をとれないし、とる資格がない、と思うので、選挙
では決して投票はしません。
枝野氏は「自助や共助ではどうにもならない時が人生にはある。政治の役割は公助だ。私たちとは明確に政治姿勢が違う」と語り、対決姿勢を鮮明にした。
枝野さんが主張している内容と、菅さんの主張は同じだと思いますよ。
コロナのときに、揚げ足とりなどしないで、なぜ、一致団結して、国難、世界の混乱を解決しようとしないのでしょう。
野党に臨んでいるのは、何がなんでも対決姿勢ということではありません。