今回のテーマは「介護」です。
もう少しで90歳に手が届こうかという母の介護が始まってから早9年弱の月日がたちました。
たまたま仕事先に介護事業所があって、家政婦紹介所時代からの状況は何となく把握はしていたものの、いざ、突然、その日がやってくると、それはもう想像を絶する毎日の連続でした。
実は、今年の夏に介護の仕方を180度変える出来事がありました。
我が家では、「おばばの反乱」と呼んでいますが、母が私と絶縁する、と言い出して、毎週3階通っているディサービスとリハビリに行かない、と言い出しました。
そして、予定していた10日近い夏休みのショートスティもキャンセルする事態になりました。
なぜか?
それは、わがままをいう母に、兄が「弟の私のいうことをきちんと聞くように」とアドバイスをしたことが原因でした。
子どものいうことを聞くくらいなら、私はもう無用の人間だ、というのが母の理屈でした。
「老いては子に従え」の理屈と「過保護はやめる」
もし、親の方からこの諺を言う場合は、その家族は、きっと円満なんだと思います。
ところが、これが、子どもの側から言う場合は、それは違うんだ、ということに気づきました。
どういうことかというと、親が昔のように権威を振りかざしてくると「老いては子に従え」というじゃないの・・・少しは子どもの意見を素直に聞いたらどうだい・・・、と親に言ってしまいまませんか?
そんなことは、子どもの立場では、当たり前のように思っていました。
ところが、親はそんなことは、ちっとも思っていないんだなぁ、ということです。
「老いても子には(絶対に)従わない」
どうも、これが親の本音のようです(大汗)
そこで、今回の「おばばの反乱」で私がした発想の転換は、「親に対する過保護はやめる」でした。
骨折をしたらたいへんだから、何でも先回りして、これは危ない、これはだめだ、と言っていたのを、骨折の怖さをくどい位に話をした後は、できるだけ口出しをしなくしました。
食事についても、三度三度の食事を、つきっきりで見守るのをやめて、準備したら、後片付けも任せて(とはいっても、洗い物が出ないようにしています)、自分でやってもらうようにしました。
ごみ捨ても、自分でコンビニの買い物袋に入れてもらって、ゴミ収集の日に出せるまでのことは、自分でやってもらうようにしました。
そんな日々が続くうちに、心配していた痴呆の初期症状のような状況がなくなってきました。
昔のようにしっかりものの(口うるさい)母親に戻りつつあるんです。
ちなみに、ショートスティについても「母親のこと(自分のこと)を考えて」という発想を、「子どもたちが楽になるため、子どもたちののことを考えて」という説明をするようになったら、素直に行く、ことになりました。
本当はそうじゃないんだけど・・・という思いはあるものの、逆らうことをせず、「老いても子には(絶対に)従わない(従うものか)」という母に、過保護をやめたら、不思議なことに、歯車がかみあってきました。
介護をしている仲間に聞くと、共通して言うのが「相手がよほどの悪人でなければ、親切に優しくなれるのに、なんで、親にだけは、それができないんだろうね・・・・」
私も、母にそれができたときこそ、「自分が悟りを開いて聖人になれるとき」、と思うのですが、きっと生涯、そのような悟りは開けないと思っています・・・。
介護を受けている親の状況は、本当に千差万別で、私の親の場合は、痴呆の症状はほとんどなく、トイレは自分で行けて、5m位の距離は、なんとか歩けます。
そういう点では、恵まれていてありがたい・・・とは思っています。
少しでも、親に親切で優しい子どもになりたい、と思う今日この頃です・・・・。
ただ、介護をしているといつも中島みゆきさんのこんなフレーズが浮かんできます。
「私の敵は、私です・・・ファイトッ!!!!」
介護をしている方、どうか自分を責めないでお互いに頑張りましょうね。