学生時代に赤穂浪士の四十七士の忠臣蔵の大河ドラマを見て大石蔵之助のファンになり、しばらくの間初詣は泉岳寺に詣でていました。
しかし、その頃から敵討ちについてもやもやした気持ちを持つようになっていましたが、下記の記事は、まさにこのもやもやを晴らしてくれる内容でしたので、ご紹介します。
赤穂浪士は”バカ殿”の尻ぬぐいで切腹させられた…「美談」として描かれる『忠臣蔵』の”不都合な真実”
逆ギレしてしまう「バカ殿」だった
ところが、浅野長矩はそのようには思わなかった。自分のメンツを潰されたと感じたのかもしれません。今で言う「逆ギレ」です。浅野長矩は怒りに我を忘れやすい、激昂・直情型の人間だったと言わざるを得ないでしょう。
しかし、それが刃傷沙汰に直結するとなれば、穏やかではありません。それがもとで浅野家は潰されてしまったのですから、あまりにも短絡的です。赤穂に戻れば、家臣やその家族たちもいる。自分の行動ひとつで、その人たちの生活も台無しにしてしまうことがわかりそうなものですが、それができなかった。人の上に立つべき人間の器ではない、ダメな殿様だったのです。
浅野長矩の「バカ殿」ぶりに比べると、四十七士を率いた大石内蔵助の傑物ぶりが際立ちます。
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以上の収支報告を、大石内蔵助は全て事細かに記録し、それが現在でも残っています。その細やかな仕事ぶりが窺える史料です。それほどに、大石内蔵助は傑出した人物だったと思うのです。浅野長矩が主君としてあまりにも残念だったことを思うと、内蔵助の優秀さが際立ちます。と同時に、こんなダメな主君に命を賭してまで仕えた顚末を描く『忠臣蔵』を、ただの美談とするのは、どうも違う気がするのです。
大石蔵之助に魅力を感じたのは間違いではなかったのだとわかりましたが、私のもやもや感は、まさに浅野長矩の「バカ殿」ぶりだったとわかり、やっと長年の謎がとけた思いでした。
仕事をしていても、君主=上司に問題があるということが多々ありますね。
赤穂浪士が藩主浅野内匠頭の敵討ちのため吉良上野介邸に討ち入った日に当たる14日、兵庫県赤穂市で恒例の「赤穂義士祭」が開かれた。義士行列では大石内蔵助役を務めた俳優の内藤剛志さん(69)が四十七士に扮した市民らを率いて練り歩き、沿道の観客を沸かせた。
一行は黒い羽織の討ち入り装束に身を包み、内藤さんが打つ陣太鼓の音に合わせて約600メートルのコースを一歩ずつゆっくりと進んだ。
「忠臣蔵」を描いたテレビドラマの出演経験がある内藤さんは「赤穂義士には仲間や家族を思い、誰かのために働く美しい話が詰まっている。忠臣蔵に興味を持ち、本や映画をひもとくきっかけになれば」と語った。
でも、嫌いじゃないんですよね、忠臣蔵って