内閣の判断によって、幹部の定年を延長することが可能となる検察庁法の改正案を含む国家公務員法の改正案について政府与党は今国会での成立を見送る
方針を固めた。(ANNニュース)
芸能人が今回の件で発言をした時に、知識人と言われるような人やコメンテーターが法律の内容も知らずに偉そうなことを言うなとか、芸能人は政治に口出すな、というようなこと言って批判をしていました。
今回この法案に対しては、弁護士や検察 OB という法律家のプロも反対の声をあげました。
芸能人に対して「法律の内容を知らずに偉そうなことを言うな」と言っていた人たちは、法律のプロが反対したことに対して、どういうコメントを出すのでしょうか。
知識人やコメンテーターは、私からすると芸能人を見下していて、君たちには知識がないのだから、分からないのだから歌だけ歌っていればいい、黙っていろ、というようて上から目線で発言したように感じていました。
ところが弁護士や検察官 OB という、いわゆる自分より立場が上(?)の人たちに対しては、何も言えない。
下に対して偉そうに厳しく、上に対しては、甘いと言うか何も言えない、これこそが、今回の一番の問題だと思いました。
そして、今回この芸能人の声が反映したことは、コロナ収束後の政治の世界にもとんでもないことが起きることを予感させます。
つまり、選挙前に、例えば、ハッシュタグで「#自民党には投票するな」と言う声が芸能人から上がって、それが広まったとします。
あるいは、若者に影響力を持つ、人気YouTuberが、政権打倒の番組を流したとします。
選挙権はあるのに今まで投票に行かなかった若者たちが、こぞって自民党以外の政党に投票することになったら政治の世界は、ひっくり返ってしまいます。
つまり時の政権にとって芸能人グループの存在は、政治団体と同じかそれ以上の影響力のある存在になってしまいます。
各党は、背後に色々な選挙母体を持っていると思います。
公明党の場合は、創価学会のようなものです。
自民党も民主党もそこから派生した党も同様のはずです。
この政治団体の中に芸能人のグループが加わる可能性がある、というのが今回の出来事から予想できることです。
おそらくそれをずっと前から感ずいていて、それを見越して脅威に感じた人たちにとっては、芸能人には、政治にかかわって欲しくはなくて、それが暗黙の了解で今まできたのだと思います。
仮にそんなことをしたら、芸能人は干されてしまう、という怖さがあったんだと思います。
そして、今回の件は、おそらく通常の事態だったら潰されていたのかもしれません。
ところが今回は、コロナ事件で芸能人もホームステイで色々考える時間ができて、時間的な余裕もできたのだと思います。
今回の検察庁法改正案など成立が見送りになったのは、芸能人の声が政治に反映された事件として、歴史に残るすごいことだと思います。
ただ、ただですよ、喜んでばかりはいられません。
改めて気を付けなければいけないことがあります。
それは、今後これを「悪用すること」を考える人間が必ず出るということです。
何でもそうですが、正しい方向、正しい信念、正しい志、正義の理念があればいいのですが、一見正しいように見えても、実は邪悪の動機を実現させるために善意が利用される危険が常につきまといます。
今回の件は、歴史的な意味を持った出来事になる可能性があると思いますが、そこからの影響や効果も十分に考えないといけないと思います。
少し話しはそれますが、今回のコロナの件でインターネット上でのニュースを読んでいて思うのが、言論を操ろうとしている人たちがいる、ということです。
それが誰で、何のためにしているのか、まではわかりません。
ただ、中国のように言動を抹殺して外に出さないという方法も怖いですが、言動をコントロールして思想統制、言論統制をするということも、とても怖いことです。
「ペンは剣よりも強い」というようなことを言いますが、
一本の剣は 人の命を奪えても、その数には限りがあります。
一本の剣で奪える人の命は、数えることができる数です。
それに対してペンの力、つまり言論の力は、時として数えきれない人の命を奪う力があります。
なので、私は、「ペンは剣よりも強いので、使い方を誤ってはいけない」と思うわけです。
今回の芸能人の発信力、あるいは、 YouTuberの発信力は、その底力をみせつけた、と思うのですが、逆にそのせいで、その発信が制限されないように注意をしなくてはいけない、ということ、そして、その発信自体も、責任をもってしなければいけない、ということを痛感させられた出来事でした。
私は、正直、諦めていた人間だったので、反省させられた出来事でもありました。