危機を脱したのは本当? 日本は“不幸中の幸い ”だった?>「もう力尽きた…」中国・三峡ダム の“悲劇”と日本排除の“黒歴史”

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クーリエ・ジャポン
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「第三号洪水」が通過した中国・三峡ダムは、決壊の危機を本当に脱したのか? “世界一のダム”の悲劇の始まりと、嘘とごまかしで塗り固められた“黒歴史”とは──。

連載「日米中『秘史』から学ぶ、すぐ役立つ『知恵』」でおなじみの譚?美さんによる緊急寄稿をお届けする。

中国では、6月初旬から2ヵ月近く降り続いた豪雨が、各地に大洪水をもたらした。とりわけ長江流域の四川省、湖北省、安徽省、江西省などで被害が大きく、湖北省宜昌市にある三峡ダムも決壊するのではないかと心配された。

世界最大(水力発電総量)の重力式コンクリートダムである三峡ダムは、総貯水量が約393億立方メートルで、黒部ダムの約200個分あり、湛水面積は琵琶湖の約1.6倍、距離にして約570キロメートルあり、東京から姫路まで達するほど。これひとつで、東京電力の家庭用の総発電量に相当する能力を持つというから、想像を絶するほどの巨大さだ。

その三峡ダムが、豪雨のピーク時には警戒水位を最大16メートル越え、放水量が毎秒6万1000トンに達しても、なお雨水の貯水量に追いつかないという事態が数日続いた。今にも決壊するか、越水するのではないかと不安視されるのも当然だろう。結果的には、7月末に豪雨が止み、なんとか持ち堪えたが、長江の中下流域では、豪雨にダムの大放水が加わって、長江が天井川になり、都市の排水機能が麻痺して水没することになった。

驚くことに、中国政府は重要都市である武漢市や南京市を救うために、安徽省や江西省で故意に堤防を破壊して農地に水を引き入れ、農村を水没させるという荒業をやってのけた。もともとあった遊水地は、宅地開発で次々に埋め立てられていたため、貯水する場所がなかったのだ。

中国の大手メディアの「テンセント(?訊)」は7月11日、「ごめんなさい、三峡ダムは最善を尽くした!」と報道し、四大ポータルサイトの「ネットイース(網易)」も「三峡ダムはもう力尽きた、これ以上責めないで!」と、ほぼ同じ内容の記事を掲載した。

いかに世界一を誇るダムでも、自然の猛威を前にして、人工物が無力であることは明らかだろう。気候変動は今後、ますます激しさを増すと予想されている。もはや治水の効果が薄れた三峡ダムは、むしろ「危険な存在」とみなされるようになった。だが、振り返ってみれば、もとは「中国の夢の実現」として大いに期待されたはずだ。

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“悲劇”のはじまり

「20世紀最大のプロジェクト」と呼ばれた三峡ダムの建設計画が立ち上がったのは1993年のことだ。今では建設当初の経緯に関心を払う人は多くはないだろうが、実は、日本と少なからず因縁がある。以下、「日刊工業新聞」(1994年1月18日付)、「朝日新聞」(1994年4月16日付)、「日本工業新聞」(1995年5月25日付)、「化学工業日報」(1997年8月26日付)、「産経新聞」(2000年1月7日、1月29日付)をもとに、時間を追って経緯をご紹介しよう。

Photo: Feature China / Barcroft Media / Getty Images

Photo: Feature China / Barcroft Media / Getty Images

1994年1月、中国長江三峡工程開発総公司は、中国国際工程諮詢有限公司に委託して、春節前に中国の施工業者を決定した。だが、当時の中国はまだ発展途上国で技術も資金もなく、外資を利用することを前提に国際入札を予定した。建設機械や出力70万kWの発電機26基(後に32基)のうち、最初に建設する12基を海外の落札メーカーとハルビン電気、東方電機が共同で設計、生産することになった。

7月、日本は当初計画されていた総額950億元(当時約1兆1600億円)の一大プロジェクトに参入しようと、国際貿易促進協会(国貿促)の主催で、商社や重電、建機メーカー、金融機関など約20社からなる視察団を組織して訪中し、国務院三峡工程建設委員会や水利省、中国三峡工程開発総公司などを訪問した。その後、国際入札に応札した。

1994年に中国が外資企業に発注した総額は38億ドル、870件に上った。受注した主な案件は、米国GE(ゼネラル・エレクトリック)のカナダ子会社CGEが中国の東方電機工場と組んで55万kWの大型発電機を落札。米国のキャタピラー、ドイツのデマーク、クルップなど欧米メーカーも相次いで大型の建設機械を受注した。だが、日本企業が受注できたのは小規模のものに限られ、大型受注は一件もなかった。敗因は、欧米企業の受注活動強化と円高による競争力低下、中国の発注条件の厳しさなどによるものと思われた。

翌年の1995年5月、湖北省武漢市で開かれた「長江・三峡ダム国際水力発電・建設機械商談会」には、米国、ドイツ、ロシア、日本など14ヵ国の有力メーカーと中国側約70社が参加し、約1000万ドルの成約があった。だが、ここでも米国GE、ドイツのリープヘル、シーメンス、ロシアのレニングラード電力工場などが落札し、日本企業の受注はなかった。

「日本排除」の本当の理由

1997年8月、中国長江三峡工程開発総公司は、水力発電機14基の国際入札を実施した。日本は日立製作所、東芝、三菱重工業、三菱電機のメーカー各社と伊藤忠商事、三井物産、三菱商事、住友商事の商社の計8社で連合を組んで応札し、日本政府や日本輸出入銀行も融資や貿易保険の適用を決定して後押しした。

しかし、結果はまた敗退だった。受注したのは、英仏合弁のGECアルストムとスイスのアセア・ブラウン・ボベリ(ABB)の企業連合が8基、残り6基をカナダのCGEとドイツのフォイト、シーメンスの計3社の企業連合だった。両企業連合は中国企業2社などに設計や一部設備の納入を請け負わせ、技術移転することを承諾していた。

1999年5月、ハイテク機器を中心とする総額2億ドル(当時約220億円)の水力発電所変電施設の国際入札が初めての公開方式で行われ、日本の三菱電機・住友商事連合体、ドイツのシーメンス・スイスのABB連合体など合計17グループが応札した。入札価格はすぐに公表され、三菱・住友連合が最低価格であることが分かった。

ところが、中国は9月14日、日本より数千万ドル高いシーメンス・ABB連合が落札したと発表した。日本は大きな衝撃を受けた。日本側関係者はさまざまなルートをたどって、日本が排除された理由を問い質したが、「日本連合は価格だけでなく、技術、技術移転、納期などのすべての面で最善の評価を受けた」と、非公式の回答を得た。まことに不可解である。

やがて謎が解けた。11月末、日中投資促進機構の訪中団が北京を訪れた際、個別に会談した中国の呉儀国務委員と対外貿易省の常暁村機電局長が、揃いも揃ってこう言ってのけた。

「日本企業連合を排したのは、融資条件の中に環境保護規定の順守が入っていたからだ」

呉儀国務委員は、「シーメンス・ABB連合には環境保護規定がなかった」とも、付け加えた。

当時まだ国際常識に疎かった中国は、公開入札の公平性の大原則が理解できず、また、近代化を急ぐあまり、日本の環境保護規定を余計な干渉だと考えたにちがいない。これ以降、日本は官民一丸となった参画をあきらめ、個別企業の単体取引が中心となる。

第二期工事がピークに達した2000年6月、中国三峡工程開発総公司の代表団は先進7ヵ国を巡った後、日本を訪問してダムやトンネルを視察し、「日本の優れた現場管理と安全管理、それに環境保全などが大いに参考となった」と、絶賛した。

“おからダム”の嘘とごまかし

その一方、2000年1月、中国ではダム建設用地から140万人の住民を強制的に移住させていたが、その移住予算の1割にあたる4億7300万元を、地元政府や関係企業が不正流用していた事実が発覚した。

もっとも、これは氷山の一角に過ぎない。中央から地方へと資金が受け渡されるたびに、各レベルの役人が次々に着服し、汚職が蔓延。ついにはコンクリートの品質もごまかしていたことが判明した。三峡ダムが完成すると、人々は「豆腐渣(おから)」ダムだと口々に揶揄した。

嘘とごまかしで塗り固められた三峡ダムの実態は、とりもなおさず、大洪水で家財や命を失った被災者たちの悲劇に通じている。中国の官製メディア「新華網」によれば、今年6月からの豪雨により27省で大洪水が発生し、被災者は4500万人以上、死者・行方不明者は142人にのぼると発表されている。また、今年の大洪水は1998年の大洪水と比較され、それを上回る史上最大の災害だとも言われている。

ところが、Baidu(百度)百科を検索してみると、1998年の「特大洪水」の被災者は2億2300万人、死者は4150人にのぼった、と書かれている。この数字が本当なら、単純に計算しても、今夏の史上最大の大洪水でも、1998年と同じか、それ以上の被災者と死者が出ていてもおかしくないのではないだろうか。

宣伝工作で「洪水を美化」する中国

中国政府は、今、大洪水の国情に好印象を与えようと宣伝工作に余念がない。

長江の「第三号洪水」が武漢を通過した際、「新華網」は「洪水文」を掲載し、愛くるしい(?)表現で洪水を擬人化し、茶化してみせた。

江西省の?陽県では、?陽湖の堤防が決壊し、約5万軒の家屋と農地が水に浸かったが、現地の中国共産党の公式アカウント「?陽発布」は、「洪水災害は悪いことばかりではない。大きな被害をもたらした一方で、再生と洪水に抵抗する偉大な精神をもたらし、天と地と戦うための闘志を高揚させた。善もまた生み出したのである」と書いた。

無論、SNSには庶民の怒りと怨嗟の声があふれ返っている。だが、「声なき民」の声は瞬時にかき消され、被災者の悲痛な叫びが公式記録に残ることはない。

今となっては、日本が官民挙げて三峡ダムの建設に深く関わることがなかったことが、むしろ不幸中の幸いだったように思えてならない。

8月に入り、まもなく台風シーズンがやってくる。三峡ダムも洪水の被災者たちも、なんとか無事でいてほしいと祈るばかりだ。

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