特集『セ・パの実力格差を多角的に考える』第5回 巨人頼みのセとパのリーグ努力@廣岡達朗インタビュー(前編)
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【リーグ間格差について、名将・廣岡達朗が考えること】 2019年、そして翌20年の日本シリーズ。パ・リーグ覇者の福岡ソフトバンクホークスと、セ・リーグを制覇した読売ジャイアンツが激突し、いずれもソフトバンクが4勝0敗で日本一に輝いた。この結果を受けて、「リーグ間格差」が大きく注目され、「格差是正」に向けての議論が続いているが、セ・パ両方で日本一に輝いた監督がいる。1978年にヤクルトスワローズを創設29年目で日本一に導き、82年には創設4年目で西武ライオンズを同じく日本一にしたのが廣岡達朗氏だ。
両リーグで日本シリーズを制した名将に、現在の「リーグ間格差」について、どのように考えているのかを尋ねると、その答えは実にシンプルなものだった。
「セ・リーグとパ・リーグ間の格差が開いているんじゃない。単純に巨人とソフトバンクの差が開いているだけのこと。もっと言ってしまえば、巨人・原辰徳とソフトバンク・工藤公康、両監督の勝負にかける執念の差であって、両リーグ間の格差について議論することに、私は意味がないと思う。そこを見誤ってしまっては本質が見えてこないんだから」
巨人とソフトバンクとの差、そして原辰徳と工藤公康との違いについては、後編にてあらためて解説してもらうこととして、しばしば「両リーグ間格差の象徴」と目される「DH制について」話題の矛先を向けると、廣岡氏の口調がさらに強くなった。
「日本シリーズが終わった直後に、巨人はセ・リーグ理事会にDH制度導入を提案しましたよね。しかし、他の5球団からの賛同は得られなかった。それは当然のことですよ。そもそも、DH制を導入するかどうかは巨人が決めることではないんですから。本来ならば、各球団のオーナーが議論を尽くしたうえで最終的にコミッショナーが判断すべき問題なんですから」
DH制導入を積極的に訴えかける原監督についても、廣岡氏の舌鋒は鋭い。
「日本シリーズで2年連続してソフトバンクに4連敗を喫してしまった。本来ならば監督が辞任すべき大問題ですよ。ところが原は、そして原の腹心であるコーチ陣たちは誰もユニフォームを脱がない。それどころか、あろうことか『DH制度を導入しないからセ・リーグはパ・リーグに勝てないのだ』と議論をすり替えようとしている。どうして、原があそこまでDH制導入を声高に訴えているのかわかりますか?」
一拍の間を置いて、廣岡氏は続けた。
「自分の持つ巨大戦力を使いこなせない言い訳ですよ。広島から移籍した丸佳浩、オリックスから加入した中島宏之はそれなりに活躍した。でも、たとえば、日本ハムから移籍した陽岱鋼はどうですか? 元西武の炭谷銀仁朗は? さらに2021年からはDeNAから梶谷隆幸も加入する。これだけの巨大戦力を使いこなせていない。みんな飼い殺しですよ。だから原は、『ひとりでも多く使えるように』という思いでDH制にこだわっているんです。決してリーグ全体の繁栄、発展を考えているわけじゃない」
【DH制があろうとなかろうと、どちらでもいい】
前述したように、廣岡氏はセ・リーグではヤクルトを、パ・リーグでは西武をともに日本一に導いている。その廣岡氏が考える「DH制の戦い方」について尋ねると、ヤクルト監督時代の「ある助っ人」との思い出話を切り出した。
「ヤクルト監督時代にチャーリー・マニエルという外国人がいました。彼の長打力は確かにチームとしては貴重な戦力でした。でも、守備や走塁に関して言えば、彼はチームのためにはならなかった。あるとき、試合途中で彼をベンチに下げたことがありました。メジャーリーガーにとって、それは屈辱的な出来事であることを私は理解していました。だから試合中に彼を呼んで、『今のままの守備力では試合では使えない』と説明しました。それが功
これは「DH制のないセ・リーグだからこその苦労だった」と廣岡氏は振り返る。しかし、1978年こそマニエルの活躍もあって、見事に日本一に輝いたヤクルトだったが、翌79年にマニエルを近鉄にトレード。ヤクルトは開幕から投打の歯車がまったくかみ合わずに、シーズン途中で、廣岡氏は退団の憂き目に遭っている。
「マニエルのような選手はセ・リーグでは活躍できないでしょう。でも、打撃に専念することのできるパ・リーグならば活躍の幅も広がるかもしれない。そういう意味では、両リーグ間の外国人選手獲得について、選手起用についての違いはあるとは言えるでしょうね。ただ、違いがあると認めたうえで、私は『DH制があろうと、なかろうとどちらでもよい』という考えは変わりません。DH制があろうとなかろうと、監督というのは与えられたルールの中で戦うしかないんですから。原のように、『DH制を導入すべきだ』というのはいち監督が発言する問題じゃない。その点を彼ははき違えていると思いますよ」
それは、両リーグで日本一に輝いたプライドと自負が垣間見える発言だった。
【長年のパ・リーグの苦労と努力の果ての現在の繁栄】
さらに、廣岡氏は「両リーグ間格差」にことさら注目するマスコミに対しても苦言を忘れない。
「私が西武の監督だった頃、パ・リーグには伊東一雄という名物広報部長がいて、『パンチョ』というニックネームでテレビや雑誌に積極的に登場していました。彼は自ら広告塔となって、必死にパ・リーグの魅力を訴えようとしていました。セ・リーグ出身だった私は、パンチョの頑張りに驚きました。『あぁ、ここまでしないと世間から注目してもらえないんだな』と気づかされました。こうした先人たちの努力の果てに、今のパ・リーグの繁栄はあるんです。こうした努力をないがしろにして、『セ・リーグもパ・リーグの真似をすべきだ』と安易に報道するのはどうかと思う」
そして、あらためてセ・リーグの歩んできた道のりについて廣岡氏は言及する。
「結局、セ・リーグというのはこれまですべてが巨人任せ、巨人頼みだったんですよ。それに対して、『セ・リーグに追いつけ、追い越せ』と頑張ってきたのがパ・リーグなんです。こうした積み重ねがあって、パ・リーグの現在がある。その点をきちんと評価せずに、”両リーグ間格差が大きい”とか、”DH制を導入しないと差が開く一方だ”と慌てるのは意味がない。その点でも、コミッショナーの役割は大きいんだけれどね……」
次回、後編は「コミッショナーの役割」、さらに廣岡氏が考える「巨人とソフトバンクの差」、そして「原辰徳と工藤公康」について言及したい。
【profile】 廣岡達朗 ひろおか・たつろう 野球評論家。1932年、広島県生まれ。呉三津田高、早稲田大を経て、54年に読売ジャイアンツに入団。同年、新人王を獲得し、ベストナインに選ばれた。66年に引退。76年にヤクルト・スワローズの監督に就任し、78年に球団初の日本一に導く。82年には西武ライオンズの監督となり、4年間で3度のリーグ優勝、うち2度の日本一と西武の黄金時代を築いた。92年に野球殿堂入りを果たした。
長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi