自衛隊の皆さんの日々の活動には、心から感謝します
世界の情勢が目まぐるしく動いてるため忘れられがちだが、今年1月15日に発生したトンガでの海底火山噴火と津波被害を受けて、自衛隊の国際緊急援助隊が現地に派遣された。
2月17日の帰投命令により、航空自衛隊のC130輸送機とC―2輸送機、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」、同艦に搭載された陸上自衛隊のCH―47輸送ヘリコプターの活動が終了した。「おおすみ」と陸自のヘリ部隊はまだ約8000キロの帰路にあり、3月上旬の帰国まで気を抜けないに違いない。
「日本の自衛隊機を、ここトンガで見られるとは!」
発災から5日後には派遣命令が下り、その日の夕方には空自隊員が愛知県・小牧基地に参集し、夜には出発した。日本の素早い動きに、現地で出迎えたトンガ首相らから感激の声が届いた。
トンガの日本大使館も同様だった。
大使館のサイトなどによれば、緊急事態用の通信衛星を介した国際回線も噴煙で覆われた島では使うことができなくなっていた。情報取得は地元のラジオ放送しかなく、それもトンガ語しかないため、状況を掌握するまでに、かなり時間がかかったという。
呆然(ぼうぜん)自失の状態があまりに長く感じたが、ようやく噴煙が引き始め、1本だけ日本との国際電話が通じるようになった。その時に、宗永健作・駐トンガ大使は、自身の想像をはるかに超える勢いで、日本政府が緊急支援対応を取っていることを知ったと述懐している。
日本のC―130が来てくれる! しかし、唯一の国際空港であるファアモツ空港はとても着陸できる状況ではない。そこで、国防軍や消防局、ボランティアの人々が急ピッチで滑走路の清掃を行い、無事に着陸することができたという。
「トンガの青空から、日の丸を背負った自衛隊機が舞い降りるさまは、それは感動的でありました」
感極まりながら日の丸の旗を振っていたのは宗永大使だけではなかった。その横には、トンガの首相や閣僚、国防軍司令官、大使館やJICA(国際協力機構)のすべての日本人職員がいた。噴煙に覆われ、暗闇となっていた空が晴れ、自衛隊が降りてきたのだ。
日本とトンガの外交上初の「歴史的瞬間」となった。
■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 防衛問題研究家。1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛官の心意気』(PHP研究所)、監修に『自衛官が語る海外活動の記録』(並木書房)など。